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内向型人間の生きる道

内向型人間の生き方として考察した事を書いています。

40歳からの居場所②

前回、40歳からの居場所の話を聞いて、そこで色々意見が出て、その中から感じた事を書き記したいと思う。

生存保障のメッセージ

僕が尊敬している支援者の方が「居場所とは同時に生存保障のメッセージ」であると本で書かれていた。つまりそこにいるだけでいいんだよ、生きてるだけでいいんだよ、という事である。その方の本にも書かれているようにひきこもりの高齢化した場合、年齢によりもう勤労自体が短期アルバイトなどに限定される。そうなった場合、親御さんも自分を責め、当事者自身も取り返しのつかない過去を悔やむ事になるだろう。じゃあこれからどうして、なんのために生きていくのか、働くのかという事になる。そこでそういった人々の人生をなんとしても肯定する場所が必要なんじゃないかと僕は思った。たとえ働く事がまっとうにできなかったとしても生きてるだけでいいのではないか、と。それにこういった場所があれば最悪の孤独状態は避けられる。居場所はこういったメリットがある。

居場所だけでよいのか?

まず前提として、この居場所には40歳以上になっても就労できなかった人も含めなければならない。それで40歳の場合はいってももう大人だ、世間的には。僕の県にもある、だらだらしゃべる、遊ぶ、お互いの苦悩を共感するといった場所も大事だが、同時にある程度の収入を得られる場所もあった方がよいだろう。だからお互いの特技をシェアしうまくお駄賃になるような場所にも同時にするのはどうだろう。

例えば、料理であったり、PCの組み立てだったり、車の運転であったり、裁縫だったりそれらの特技をシェアする。それで地域のお困りごとに対処するといった事がよいのではないだろうか。僕がいいな、と思っているのは占いのスキルだ。これは求人もよく見るし、なかなか面白いと思う。

自分ちの近くには、高齢者のお困りごとを聞くNPOがあり、こういった上記のような人々のスキル提供を有償で受け付けている。買い物に付き添ったり、高齢者のためのPCを教えたり、縫製などである。できそうなアルバイトをしつつ、こういった有償のボランティアといった組み合わせが妥当ではなかろうか。

最近、リアルで聞いた話で就職氷河期世代からの電話が相次いでいるらしい。日本社会が救えなかった世代だ。こういった人々の生存にどう寄り添うか、それは自分はニートだけど正社員に採用されなかったらもしかしたらこういった場所にお世話になるだろうし・・・。「働くことを考える事は、最終的には実存という哲学的な領域につながっていく・・・・。」