内向型人間の生きる道

内向型人間の生き方として考察した事を書いています。

大阪は、イタリアを目指せばいいんじゃね。

選挙が終わったので漠然と大阪の事を考えてみた。

よく京都がパリに例えられる事がよくある。それはちょっとした小道・町並みだったり、京都のイケズ的な文化がパリっ子の嫌みったらしい文化と似てるとか、古き良き歴史が似てるといった点である。そして京都の人は京都の人間だという強い自覚があるように見える。

僕は兵庫の人間で兵庫というのはヒョーゴスラビアと言われるほどより集めただけの場所なので明確にアイデンティティーが存在しない。

隣の大阪の歴史を深くは知らないが大阪の人も大阪をいうものに強い誇りを持っているらしい。

ただこの愛郷心というものがネックで強い愛郷心というものは排他性にもつながりやすいという事だ

大阪はよく開放的と言われるがそれは違うように見える。そもそも他府県の人と話してて思うのは大阪のある種の本音主義みたいなのが建前を重んじる他の日本人と大きく異なるし、謎の自分たちの誇りからくる自信過剰な主張は他府県の人間にとって圧が強いように見える。そこらへんが大阪が苦手と思われる部分だと思う

ただ一方で、その陽気な部分は強みでもあると思うのだ。また食文化も安くて美味しいものが多くそれもメリットだと思う。

そう考えたときに大阪はイタリアになるべきなんじゃないかと思った。陽気なフランクさ、デザインの先進性や食文化の豊かさなどがあげられる。経済なんか名古屋とか福岡とか北海道なんかに譲ってこじんまりした方が大阪に似合うように思える。文楽という文化もしかりだ。

もっと大きく日本という視点で見れば、近畿圏内の役割はメジャーではない良質でマニアックな役割を引き受ける事だと思う。例えば、京都のテレビ局やラジオ番組はそこらへんを理解しており、良質でマニアックな音楽番組を作っているし、神戸も映画のマイナーな番組を作っている。産業や音楽文化において同様である。

大阪も同様に東京に張り合おうとするのではなく自分たちの特色を磨き上げていけばいいんじゃないだろうか。

ただそのためには声のデカい商人ではなくクリエイターやアーティスト、福祉関係者、他府県の人々といった大阪でも声の小さな人たちがリーダーになるべきだと思うのだがそれは難しいのかもしれない。