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内向型人間の生きる道

内向型人間の生き方として考察した事を書いています。

陶芸をしてきた。それでやっぱり苦手だと確認した。

最近、陶芸をしてきた。手先を使う作業が昔から苦手であり、それを確認したいと思ったからだ。

で、やっぱり苦手でした。水を付けて粘土をこねるんだけど思ったようにいかない。どこかで穴が開いたり、コップを作った時に真ん中の空洞がきれいにいかないなどイライラしてしまいました。

少なくとも陶芸家になるのはやめようと思いました笑。今度は料理などを作ったりしたいなと思います。やっぱりなにか手に職を持っている人には憧れますね・・

ひとり言:論理的ってなんだろう?

ツイッターでよく論理的という言葉が使われている。goo辞書から、論理にかなっている様を論理的というらしい。

じゃあかりに「人をなぜ殺してはいけないのか?」という問いに答えられるだろうか、論理的に。いや無理だろう。論理的には、殺してもOKだけど、そこには感情とか倫理観とかが入ってくるはずだ。

ツィッターでの「論理的」とだと自称する人はこの上記の感覚を忘れているような気がする。かりに理屈としては正しいが、感情や人間らしさを無視した言説を俺は論理的と言えないのではないか。大阪の某市長の言い分や、某ベンチャー企業の社長の言い分もそれだ。

海外の雇用制度は「人間ってなんてダメなんだ」というところから出発しているように思える。それも含めての論理的だ。実はきれいごとだったり偽善だ一周回って論理的になる事もあるだろう。

自称「論理的」という人間には十分、注意したいと思う。

自分に対する執着心。

最近、消しては消しても消えないのがある事に関する未練だ。ツイッターでもよく生きづらいという事を述べている人がいるけど、それは大体が執着心を捨てられないからじゃなかろうか?

仕事の出世、やりがい、異性にもてたい、稼ぎたい・・・・そういう意見を持つ事はしごく当然だ。口ではもう来世にかけます!とか言いながらそうなりきれない自分。

僕の場合は二つある。一つは歴史情緒溢れる場所に住む事、二つ目はあるクリエイターになるための学校に通いたい、という事だ。なんかもうこれさえすれば人生の目的を達成したようなもんだと思う。しかし、そのためには安定した土日休みの仕事を見つけなおかつそれを継続的にこなし続けなければならない。二つ達成できなくてもよい。だが特にせめて後者には通いたいと思う。「自分が本当に生きた証・痕跡」を残したいんだ。自分はどうせ、営業の能力も経理の能力も介護の能力もないだろう。じゃあ人様に褒められた事はなにか?アイディアと弱者・他者への共感力だけだ。自分が発想・妄想している事を、普段感じている事をぶちまけたい、ただそれだけだ。世の中の事なんか知るか。

頭の中の執着心を捨て、ひたすら組織の出世を目指せばよいのかもしれない。ただその執着心が同時に僕の最後の生きる事に対する希望にもなっているから、恐らく断ち切る事は不可能だろう。だから上手に付き合いつつ、己を出すのみだ。

40歳からの居場所②

前回、40歳からの居場所の話を聞いて、そこで色々意見が出て、その中から感じた事を書き記したいと思う。

生存保障のメッセージ

僕が尊敬している支援者の方が「居場所とは同時に生存保障のメッセージ」であると本で書かれていた。つまりそこにいるだけでいいんだよ、生きてるだけでいいんだよ、という事である。その方の本にも書かれているようにひきこもりの高齢化した場合、年齢によりもう勤労自体が短期アルバイトなどに限定される。そうなった場合、親御さんも自分を責め、当事者自身も取り返しのつかない過去を悔やむ事になるだろう。じゃあこれからどうして、なんのために生きていくのか、働くのかという事になる。そこでそういった人々の人生をなんとしても肯定する場所が必要なんじゃないかと僕は思った。たとえ働く事がまっとうにできなかったとしても生きてるだけでいいのではないか、と。それにこういった場所があれば最悪の孤独状態は避けられる。居場所はこういったメリットがある。

居場所だけでよいのか?

まず前提として、この居場所には40歳以上になっても就労できなかった人も含めなければならない。それで40歳の場合はいってももう大人だ、世間的には。僕の県にもある、だらだらしゃべる、遊ぶ、お互いの苦悩を共感するといった場所も大事だが、同時にある程度の収入を得られる場所もあった方がよいだろう。だからお互いの特技をシェアしうまくお駄賃になるような場所にも同時にするのはどうだろう。

例えば、料理であったり、PCの組み立てだったり、車の運転であったり、裁縫だったりそれらの特技をシェアする。それで地域のお困りごとに対処するといった事がよいのではないだろうか。僕がいいな、と思っているのは占いのスキルだ。これは求人もよく見るし、なかなか面白いと思う。

自分ちの近くには、高齢者のお困りごとを聞くNPOがあり、こういった上記のような人々のスキル提供を有償で受け付けている。買い物に付き添ったり、高齢者のためのPCを教えたり、縫製などである。できそうなアルバイトをしつつ、こういった有償のボランティアといった組み合わせが妥当ではなかろうか。

最近、リアルで聞いた話で就職氷河期世代からの電話が相次いでいるらしい。日本社会が救えなかった世代だ。こういった人々の生存にどう寄り添うか、それは自分はニートだけど正社員に採用されなかったらもしかしたらこういった場所にお世話になるだろうし・・・。「働くことを考える事は、最終的には実存という哲学的な領域につながっていく・・・・。」

イケメンと、美人が苦手つぅーか嫌い。

タイトル通り、イケメンと美人が嫌いなんだけど最近、久しぶりにこの感情を思い出した。あぁ懐かしい。なんでそういう風に思うのかというと恐らく中学校の記憶にさかのぼると思う。

中学の時の世にいうスクールカースト上位的な人がいた。その人達はモテていて、まあウェーイな感じだった。ただ自分はものすごく気に食わなかった。それは笑いのとりかただ。

自分のグループ以外の人をいじって、自分は無傷でいようとする。そのくせ自虐ネタもなし。それを見て女子も笑う、みたいな。俺は権威的なものが反吐が出るほど嫌いだったからなるべく愛想だけよくしといた。本当こいつらテポドンが頭の上にでも落ちねーかなといつも思っていた。これほど死に値する人たちはいない、と。まあこういう人達は社会で成功してるんでしょうな。高校で性格の良いウェーイ集団もいる事はわかったけどいまだにその疑念はぬぐい切れないし、その人達がいたら避けようとする。

だから世にいうブスとか不細工とかいう人を見るとなんか肩入れしてしまうし、特に女性は容姿をジャッジされやすいタイプだから頑張れ!と心の奥で思ってしまう。ブスと言われる人でけなげに頑張っている人は本当に幸せになってほしいと思う。

といった思い出を思い返した。昨日、いかにもなカップルを見て。自分が何か違和感を感じたり、気になる事は自分で振り返る事が大切なのかもしれない。そこに自分の感情の源があるから。

 

40歳からの居場所

今週末、京都の40歳からの居場所を考える会に参加してくる。先月も参加したばかりだ。

ひきこもりで40歳を迎えると、もう短期バイト以外、雇ってくれる場所などほとんどない。あるひきこもり就労の本でも50台までひきこもりをつづけた男性は結局、短期アルバイトしか採用してくれなかった。

まあひきこもりに限らず、40代を超えた居場所みたいな場所は必要なんじゃないかな、と思う。

最近も独居老人のためのカフェを開いてる人の話を聞くと家にいがちでどうすればいいかわからない人がたくさんいるみたいだ。

なんかやっぱり、若者って支援されやすいんだよ、けど中高年、特に男性は支援されにくいんだよな~

みんな敬遠するし。だから自分もこれから結婚できるかどうかわからないのでこの試みを応援していきたいと思う。なんか最近、就活よりも身が入ってるwだって誰もやった事がない試みだから。

居酒屋の掛け声で売り上げは上がるのか??

先日、知人と行った某居酒屋で思ったのは、とにかく声を出せばいいと思っているような接客が多いという事。上司の指示なのだろう。

けどそれが果たして良い接客なのだろうか??

僕はむしろそっとしといてほしいタイプなので、そういった接客の人が来たら嫌だし怖い。てかビビる。

良い接客をする→元気の良い接客だなと客が感心する→注文が増えるという考え方なのだろうか?

確かに元気な人は元気な接客を重視するかもしれないけど、そうじゃない人は静かな接客を好む、そういう人もいるはず。

逆に静かな接客をモットーにする居酒屋が流行ればいいな、と思う。ぜひ。