内向型人間の生きる道

内向型人間の生き方として考察した事を書いています。

最近読んだ本など「どーすんの?私」「期待に応えない生き方」「ひきこもりからの回復」

「どーすんの?私」
イラストレーターの細川貂々さんが自分の天職のイラストを学ぶ学校に入るまでのいきさつを漫画にしたものである。高校を卒業したものの何をやるのか分からない中、接客業、コンピューターを作成する会社などを紆余曲折する話。接客も、ライン作業も向いていない、著者が事務職として入った会社の話が面白かった。亀田課長という男から花束が贈られてきて先輩に話を聞くとどうやら手当たり次第に新入社員に手を付けている人だったらしい。婚約者がいる新入社員も課長と付き合う事になり、なんと誤解により細川さんと新入社員の仲が険悪な形になる。実はそれには裏があって・・・・・・・・・。
細川さんはめげずに頑張ってきたから進路を決められたんだと思う。

「期待に応えない生き方」
たまたま表紙に惹かれて手に取ったのだがこれが大正解だった。他者中心から自分中心に考え方を変える。そのために心で感じる事を大切にする訓練をする。たったそれだけだ。特にそうだそうだ、と思ったのは「責任を感じすぎるの=相手に会わせなければならないという思考」は全くその通りだ。

「ひきこもりからの回復」
これはDVDで、福祉関係の方から貸していただいた。主に当事者や精神科医の方の話とVTRという構成になっている。ブラック企業から6年間近くひきこもって精神科、自助会から就職復帰を目指す人。この人は元々、大学でゼミ長をしていたなどリーダー経験があったから精神科医から自助会のリーダーに抜擢されそこで自信をつけて就労支援施設に通い始めた。母親との関係がこじれた女性は良き精神科医と出会って「母親じゃなく自分を見つめなおすのは?」と話を受けてまたひきこもりの親子会に参加し親の立場を知りひきこもりから脱出する、また中間就労施設を作った秋田県藤里町の話。そこでは就労経験を積むために特産品の商品を作ったり併設しているカフェで働くことで社会復帰を目指す。都会でプログラマーとして働いて体を壊し、就職できずそのままひきこもり、その中韓就労を経て今は社会福祉協議会でパート職員として働いている人の話。この話で思ったのは田舎だと良い職がコミュ力高い人にとられ、エネルギーの低い人ほど都会に職を探さなくちゃならない事、またひきこもりの高齢化も進んでいるようであり余談は許さない様子だ。

90年代的な雰囲気~ケビン・スミス、ソニックユース、ベック~

90年代の雰囲気とは何だろう。そう聞かれて、即思い浮かぶのがケビン・スミスだ。彼は低予算インディーの「クラークス」という映画を撮り、映画監督として世に出てくる。コンビニ店員と困った客のやりとりを描いたその作品は、オフビートなジョーク、下ネタ、ラフでポップ、自然体だった。そして1995年、「モールラッツ」という最も90年代っぽい作品を彼は作り上げる。その内容は無職の若者が、恋人が他の男にわたるのを阻止する作品だ。オタク的な知識、オフビートな笑い、ショッピングモールという地方の資本主義の手先のような舞台、そして間抜けな奇人・変人、ぐうたらな青年。劇中の音楽がweezerという90年代を代表する音楽なのも象徴的か。
音楽だと真っ先に浮かぶのが、ソニックユースだ。彼らは実験的なノイズとNYパンクの伝統を受け継いだバンドだ。冷めたバンドサウンド、ネルシャツ・ジーンズなどラフなファッション、現代アートとのゆるいつながりがとても90年代的だと思う。
BECKももう一つの90年代っぽさを感じある。ブルース、カントリー、ヒップホップなど音楽の境界が薄れていく感じ。文学だと村上春樹がそんな感じか。純文学・ホラー・幻想が混ざる感じ。日本で90年代を感じるのはボアダムスだった。あと意外かもしれないが、アイドルのkinki kidsの2人も同じ匂いがする。なんか気取らない感じ。あまりキラキラしてない感じ。
働きたくない、自然体、オフビート、ラフでポップなファッション、既存のジャンルの壁が薄くなっていく、90年代はそんな時代だったと思う。

「月夜釜合戦」~映画として誠実な映画~

昨日、神戸映画資料館で「月夜釜合戦」という映画を見てきた。この映画は大阪の日雇い労働者の町・釜ヶ崎を舞台にした人情喜劇映画だ。物語は旅芸人の逸見の息子が盗んだヤクザの釜が起点となり、そこにその日暮らしの大洞、幼馴染の私娼メイ、ヤクザ、釜ヶ崎の土地でビジネスを企む企業が入り乱れる。そこにはセックスワーカーの加齢、開発業者の問題、貧困など社会的な問題が多く盛り込まれている。もちろんそういう社会問題を提起する映画である、その一方で私が感動したのは映画としてのまっとうさだった。

フィルムはデジタルではなく、16ミリで撮影されているため全編がざらついた感じだ。

赤いスカーフをまいたメイが自転車で縦の構図で街頭を走るオープニングに心奪われ、メイの友人アケミとメイのハワード・ホークスみたいなマッチ箱のやりとりに心うたれ、警察から逃げるメイを俯瞰でとらえたシーンはロッセリーニのドイツ零年のようだ。

カメラのフレームイン、フレームアウトやアクションで笑わせる部分など本当に映画の笑いで素敵だった。左翼活動家の人が本当、面白かった。

役者も素晴らしい。特に大きな釜に携わる二人組元日雇い労働者、まっちゃん・山ちゃんの顔つきがなんともいい顔をしており、まるで黒澤 明のコミカルなキャラクターみたいだ。

あとなんといってもデモである。エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」やボリス・バルネットの映画「国境の町「などデモのシーンに弱い私だがそれがすごい迫力で描かれている。今の日本でこれだけデモをとれる映画監督はいないのではないか?

難点としてはもっと敵側の怖さを描いてほしい、という感じもした。また話の焦点がややぼやけている印象も受けた。しかし、ベストのタイミングでクローズアップが入るとか、役者がいい顔してるとか、ロケーションがいいとか、カメラのフレームに対する意識が高いとか、なんというか当たり前の映画的な倫理観に溢れている作品だと思い、いたく感動してしまった。これも釜ヶ崎の人との信頼関係と築いてきた佐藤監督だから成し遂げただからできたものだと思う。

 

『マイ・インターン』を~お仕事映画・世代間友情映画として~

映画「マイ・インターン」を見たが面白かった。物語は主人公のデニーロ扮するベンがシニアインターンとしてアン・ハサウェイ扮するジュールズが社長のアパレル通販会社で働く話である。

デニーロは電話帳会社で定年退職し、妻にも先立たれ独り身、色んな習い事もしたが飽きてジュールズの下で働くことになった。一方でハサウェイは社内を自転車で走り回ったり、色々仕事に口出しするやり手の女性、子供と専業主夫の夫と三人暮らし。

【ジェネレーションギャップ】

とてもギャグが効いている。パソコンの使い方も分からず、ガラケーを使用していたりジェネレーションギャップギャグで笑わせてくれる。またベンの長年の経験や勘が事業をよくする流れは素晴らしい。

【ベンという天使】

この映画でベンは天使のように描かれている。そこでは社内の恋愛沙汰や社長のプライヴェートの問題、仕事の問題などベンの取組みによって少しづつ改善される。一番きつい部署であるジュールズの下だが、常ににこやかで気配りもできるベンはまるで天使だ。

【周りのキャラクター】

周りのキャラクターが良い。オタクっぽくて気のいい若手インターン、仕事に一生けん命で空回りする若手社員、社長の娘・母などキャラが立っていて面白い。

【お仕事】

シュールズの働きっぷりがいい。的確に指示をだし、常に社内の事を考える。またアパレルの話なので社内のオフィスやファッションもとてもお洒落だ。こんな社長の下で働きたいなと思ってしまった。また新入社員の子がコールセンターで色々成果を出しているにも関わらず適切な評価を受けていない、という嘆きは日本でもありそうだった。

【女性の生き方】

シュールズは家庭か仕事か悩む。これはバリキャリといわれる現在の仕事ができる女性も抱える問題じゃなかろうか。これはよくできていると思った。最後にアンはどういう結論を映画で下すのか。

 

「ちーちゃんはちょっと足りない」~洗練された悪意~

普段、漫画を読まないのだがツイッターで話題の「月曜日の友達」が面白くて阿部共実さんにハマってしまった。そして文化庁メディア芸術祭に選ばれたこの漫画を知った。凄かった

物語はちーちゃんとナツと旭という女の子のほのぼのとした学園ものかと思いきや、後半のある部費の万引き事件をきっかけに心のダークな部分を凝縮した展開になっていく。

貧困・自虐的な性格・壊れないような気を配りあう友人関係・・・・

この物語の主人公はちーちゃんじゃなくてナツだ。ちーちゃんは無垢で少し精神障害も入っているだろうがまっすぐに成長する。前半で点数が上がるなど成長する場面がみられる。一方で八方美人だけど、利己主義的な側面を持つナツは最後まで成長しない。ちーちゃんの無垢さによってナツの本質が浮かび上がる物語構造は圧巻の一言。

この漫画を読んでドイツの洗練された喜劇映画監督エルンスト・ルビッチやアメリカの胸糞天才小説家ジャーリー・ジャクスンを思わずにいられなかった。

ちょっとした出来心が人間関係に波紋を浮かばせる。ある人は思っていたよりいい人だったり、自分の中の悪意を自覚したり・・・その様々な人の心理・性格を魅せるのがうまいこと・うまいこと。

またリボン、ヒーローショー、など様々な小道具が密接に物語に絡んでくる語りは鳥肌が立つほどうまい。

作者はさりげなくナツに救いの手を差し伸べていたり、最初の事件を起こすさりげない伏線、よいセリフが文脈によって残酷に聞こえる作者の徹底したナツへの追い込み具合・・・・阿部共実は天才だろうか。

物語の結末は最悪の形でむかえる。前述のシャーリー・ジャクスンのように甘い果実のような桃源郷を作る事になる。それが腐臭にまみれている事も知らずに。

製本体験に、行ってきました!

 

今日、行ってみたかった製本体験に行ってきました。といっても教わるというより製作作業を見学するという感じでしたが。場所はある施設で,各々が作業をしてらっしゃいました。

ちなみに製本とは、印刷物を接着剤・針金・糸・リング等で綴じて表紙をつけ本の形にすることです。

ページの閉じ方を考えたり、ページの色を考えたり、サッシのデザインを考えたりします。

今日は自分はある冊数の紙を束ねてページを作る作業をしました。紙を4枚一セットで半分におります。それを大体6セット作ります。そして紙にある間隔で目印をつけます。そしてその目印のとこから糸を通し、縫って、つなぎ合わせて背中の部分にボンドを塗って完成させます。

紙がぶれないように微調整が必要だし、裁縫も丁寧にしなければなりません。ただし僕は裁縫、結構好きなんでめちゃくちゃ楽しめました。しかしそれでも最初は不慣れな事が多く時間がかかりました。重石をのせても紙自体がぶれる事がありました。最初の折り方によって後の目印のつけた部分もズレてくることがありました。

作業は他の方々と話をしながら和気あいあいとできました。他の方々はデザインなどを自分でされていてすごかったです。これらの製本は一般書で独学やカルチャーセンターから入るパターンがあるみたいです。東京なら講座などもやっているので、細かい作業で美しい本の表紙を作りたい方は行ってみるのもいいかもしれません。

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 こんな感じで、wikipediaにのってました。

 

さらば青春の光のコントから、「才能」を思う。

最近、さらば青春の光のコントにはまっている。ごっつええ感じのコントの視点をより洗練された形で提示しているのがいい。なんでこんな優れた発想なんだろうと感じていたので少し分析してみた。

例えばキングオブコントでも発表したパワースポットのコントはパワースポットの隣に警備員が立ってるシチュエーションに疑問を投げかけるコントだ。これはおそらく実際にこういうシチュエーションを見て気づいたんだろう。

その他にも「商談」というコントでは、お世辞を言って商談をするが、あまりなじみのないものをもってこられそれでなんとかお世辞をいうコントである。

普段、何気なくすごしている風景から違和感・面白さを感じコントにする事。これがさらばのコントの作り方だ。これは普通の人には気づかない視点である。

ダフネ・デゥ・モーリアの作品に「鳥」という有名な作品がある。これは鳥が襲ってくる話だ。普段、散歩している時に鳥は穏やかな存在だ。しかし最近、エサに大量に群がる鳥を見て恐怖を覚えた。飛ぶスピードも速いし。作者は鳥に穏やかな存在ではなく、恐怖の存在と感じたのではないか。

天才とはその人だけに見える新事実を見る事のできる人ではない。誰もが見ていながらも重要性に気が付かなかった旧事実に。気づく人の事である。(ローマ人の物語Ⅱ)